「私に居場所なんてない……」そんなネガティブぶっ飛ばします!『居場所がほしい』著:浅見直輝さんの本を紹介します。大切なのは変わることではなく、表すことです!

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ネガティブ・ブレイク!

おすすめできる人

  • 自分には居場所がないと思いこんでいる方
  • 学校へ行くことが出来ない方
  • だめな自分を変えなきゃいけないと考えている方

最初に

居場所

目指すべき人生の目標の一つといえますし、「こうなりたい」「こういうことがしたい」という夢の形の一つでもあります。

自分が生まれる場所や環境は選ぶことは出来ませんが、人間関係や成長によって居場所はちょっとずつ変わっていきます。学生なら「学校」、社会人なら「会社」「組織」、そして共通して「家」あるいは趣味などのコミュニティなどが居場所という形になっていきます。

とはいえ、人の価値観がそれぞれ違うように居場所の価値観もまた大きく異なります「自分がいるべき場所」「自分がいてもいいんだと思える場所」を見つけるのは一筋縄では生きません。世論や周りの影響というのもありますし、単純に大きな努力、あるいはお金が必要になることもあります。

そして、何より先程あげた一般的な場所……学校や職場など本来はいなくてはいけない場所にいることが出来ない場合、「自分の居場所」を見失ってしまうこともあります。

大人も子供も関係なく、自分の居場所がない、自分がいていい場所がない、すなわち自分が生きる価値がないとまで繋がってしまう深刻な問題になりうるのです。

かつて私が紹介した物語ドキュメンタリーでも題材となった5080問題なども「居場所」がないと考えてしまい、家にこもることしかできなくなったと言えますし、深刻な問題につながることもあるといえるでしょう。

だいぶ昔に書いた記事で拙くて申し訳ないです(-_-;)

自分、あるいは大切な人がもし、そんな辛い状態になってしまっていて、そしてなんとかしたいという方に読んでほしい本がこちらです

後ろにスタンドがあるのがバレバレの駄目な写真撮影の例です

居場所がほしいけど、自分を変えることが出来ない……そんな思いは別にわがままじゃないですよ?

どんな本?

かつて同級生にからかわれ、教師に誤解されたことにより、不登校に陥ってしまった著者がどうやって居場所を見つけていったか、そして人の居場所を見つけることができるのかについて書かれた本です。

著者の自伝のように語りかける文体であり、冒頭で著者が語るように一つの物語として読むこともできます。

不登校、引きこもり、そこまで行かなくても鬱や悪質なネガティブに陥りがちで、でも自分を変えるほどの力がどうしても持てない……そんな方へ。

変わらなくても別にいいんです。

著者が歩んできた道、そして、著者が出した答えを聞けば、新しい道を見つけられるでしょう。

おすすめポイント!

偏見の打破

著者はとある同級生にからかわれたことにより、1年間の不登校になってしまい、そしてゲームにのめり込んでしまいます。よく不登校になったり、引きこもりになってしまうと「サボっている」とか「心身に問題がある」とか「ゲームがやりたくて仕方ないからやるべきことをやらない」と考えられがちです(私も不登校時代、そんな事を言われ放題でしたね)

本当にそうでしょうか?

確かにそういった面が絶対にないとは言いませんが、「甘えている」という批判で解決するほど簡単ではない可能性があります。「本当はやりたいことがあるのにできない」「伝えたいことがあるのに伝えられない」なによりも「助けてほしいのに、どうやったら助かるのかわからない」という状態でもあるのです。

著者は「ゲームがやりたかった」のではなく、「ゲームしかできることがわからなかった」と語っています。現実逃避といえば、それまでですが、じゃあゲー厶をさせなくしたらよかったのかと言われると決してそんなことはないことがわかります。

ついつい「甘え」とか「厳しくするべき」というこの手の問題ごとに対して、どういう偏見を持っているのかがよくわかります。私も偉そうに語っていますが、この本を読んでわかった自分の偏見なども多くあり(人種、性別など)、著者だけの経験ではなく、著者が出会う様々な人々が常識だけではどうにもならない様々な悩みや苦しみ、そしてそんなものを感じたことのない私達の偏見が浮かび上がってきました。

もちろん、責めるつもりはありませんが、では、厳しくして変えようとしてもできないのならば、彼らを救うにはどうしたらよいのでしょうか?

「変える」のではなく「表す」

冒頭でのテーマであり、おそらくこの本の最大のテーマの一つだと思われます。人は問題があると、「どうやったら変えられるだろうか?」「どうやったら良い方向に行けるだろうか?」と無条件で考えがちです。

もちろん、そういった解決方法もある……というよりは、「つらい状況から救われる」ためには十中八九はそういった対策が必要になることも否定はできません。

ただ、世の中に短所のないことなどありません「変える」ということは相当なエネルギーが必要であり、エネルギーを使わせてしまうと、別の部分でしこりが出来てしまい、結局もっと元に戻ってしまう、あるいはもっとひどいことになるなんてこともあるでしょう。子供だったら尚更です。

著者が選んだやり方は「変える」のではなく「表す」ことです。ないものを無理に加えようとしたり、その人の本質を無理やり変えるのではなく、すでにあるその人の力や願いをどうやって形にするか、といったことですね。

「変える」というのは結局、最後はその人自身の問題です。どれだけ本人が頑張っても、あるいは周りが圧力をかけても、できる人はできて、無理な人は無理です。そして、変えられなかった自分をより責めてしまい、現状が悪化することもあるでしょう。

「表す」ならば、色々な人が協力できますし、本人の力も発揮しやすくなります。すでにもともとあるものを見つけ、そして広げていくので、大きな力は必要ありません。内からも外からもちょっとずつ力を注ぐことにより、居場所づくりのための一歩を踏み出せるのです。

繰り返しますが、著者がゲームに依存していたのは、「ゲームがやりたかった」のではなく、「誰かに辛さを気づいてほしかった」、そして「本当は助けてほしかったというものがあります(厳密にはもっと複雑ですが……)

つまり、そういった隠れた考えを”表す”ことができて初めて問題は一歩前進……いえ、それどころか、気づけば自力で救済することができるほどの力が生まれるのです。

著者もまた、とある人に自分を「表す」ことが出来て、自身の問題を解決し、そして様々な人の問題に取り組んでいくのです。

隠れメッセージを”表す”には?

「表す」ことが大事と言いましたが、厳密には「共有できる人にわかりやすく表す」といった方が良いかも知れません。難しいのは共有できる人を見つけることですね。

今いる場所……学校なり、職場なりで見つけられるのが一番手っ取り早いですけど……できるなら「居場所なんてない」という悩みを抱くことはないでしょうね。

世の中における学校の重要性はまだまだ非常に高く、裏を返せば、「学校へ行けない」となってしまうと、どうしても「どうやったら学校へ行けるか」という論点に陥りがちです。そしてそのためには「自分を強く変えて学校を居場所にする」という手段が考えられるでしょう。

しかしそもそも学校のせいで「自分を表すこと」に恐れてしまい、力を失っている状態で、「自分を変える」というのはやはり難しいものがあるでしょう。

まずは自分を表せる人を見つける、あるいは誰かについて表せる人になることが大事ということがわかりました。

本には書いていない個人的な考えですが、仮に誰かの”表す人”になりたいのならば、基本的に重要なのは2つだけ、「すぐ人を馬鹿にしない人」そして「様々な”表す手段”を作れる人」です。

善人だとか頭が良いとかいうお話ではありません。善人は悪だと思ったものを侮蔑し、頭が良い人は自分ができて他人ができないことを誰でもできると言いがちな欠点があります(あくまで傾向の話で全員がそうだとはいいませんが

相手の話をバカにすることなく真剣に聞き、そして表すための手段も見つけられること……意外な方法で見つかったりするのです。著者はカラオケに一緒に行くなどで人の心を開いたりもしましたが、そういった手段を多く考えられる、あるいは人の痛みに触れることで知ることが大事です。

大切なのは能力ではなく”表す”ことを意識し続けることでしょう。それには上記2つの特徴が必要となるのです。自分のつらい状況をなんとかしたいときも同じですね。誰かと共感してお互いに助け合い時にあるときっと役立ちます。

著者も今となっては、過去のつらい経験をもとにし、そしてもっと辛い経験をした人を見続けたことにより、人を簡単に馬鹿にせず、様々な”その人自身を表す手段”を得ることで多くの人を表す手段を模索しています

この本を最後まで読めば、著者の「居場所がほしい」と思った最後の結論、そして「居場所」を見つけてあげるにはどうしたらいいのか?まだまだ隠されている「表す」という行動の力を知ることができるでしょう。

注意点

「学校に行かなくても良い」とありますが、それはそれでデメリットがないわけではありません。もちろん死ぬほど辛いなら行く必要なんてないと思いますが、あまりこの本ではデメリットについては触れられませんでした。

「学力や考える力」を養うチャンスを失うこと、人間関係構築の機会が損なわれること、そして何より、「普通の人だったらできる経験」ができないというは念頭におくべきです(逆に言うのならばそれらが学校で得られる状況ではないというのならば行かなくても良いということになりますが)

学校ではない別の施設へ行けば良いとも言われていますが、そのような場所が虐待や根性論で問題になったというニュースもあることは忘れてはいけません。

それから、毎回言っていますが、著者の方が幸運であり、能力が高いから不登校になってもなんとか出来た、というのもまた否定できない部分ではあります。(身もふたもない話ですが、本を出せている時点でそれなりの人と言えますからね)

あまり「著者だってできたんだから誰でもできる」みたいな思考に陥らず、そもそも当本の最初でも上げられている通り、「一人の物語」という側面で見ることが大切ですね。それでも考え方で賛同できる部分は見つかると思いますのでそれこそ、自分の考えを変えるのではなく、表す手段を模索してみると良いでしょう。

最後に最大の注意点ですが、「自分を傷つけた人も何かが辛かった」と考えるのはあなたが救われた後にしてください。今死ぬほど苦しいのに、そういう事を考えてしまうと逆に辛くなる可能性があります

最期に

著者の経歴として、物語として、あなたが著者に歩み寄り、そして著者自身も文字によって読者に歩み寄る、そんなことができる本でした。

もちろん「表す」力も万能ではないでしょう。間違った人に使ってしまった場合、それこそ著者が不登校になったきっかけとなった人に自分を表してしまうと傷つけられて、かえって傷が深くなる可能性もあります。したがって、学校で「表すことができる人」が見つからない場合は、探すのに多少の労力は掛ける必要があるでしょう。

しかし、無理に「変わろう」とするよりはきっと動きやすくなるはずです。

自分の苦痛を外に出すことすらできなくなるほど弱ってしまった人たちを著者が表すという方法を見つけました。あくまで本の中に出てきているのは子供ですが、大人も……というより私もたまに苦痛を外に出すことが出来ず、苦しむことがあります。

今までブログを始めとして、変えるために様々なことを命を削るほどの力をかけてやってきましたが、もしかしたら表すという方法もあるのかも知れません。そしてそれは今まさにこうして書いているブログでできるのかもしれません。

これからは自分を”表す”ことも焦点を置きながらブログを書いていこうと思います。


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