劣等感は劣等生の特権ではありません。優等生の絶望が響く ナミカレ ツユ

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ツユ – ナミカレ MV
ナミカレ ツユ

今回紹介する曲は、前回紹介した「くらべられっこ」の続編と言ってもいい曲です

曲の関わりで言ったら少しだけ歌詞に出てくる程度ですが、お互いを見てみると強い関連があると思います。

曲名と概要

今回の曲は「ナミカレ」です。

言葉だけでは少女の絶望感は感じ取れません。(MVのサムネイルを見れば伝わりますけど)

更に言うなら、実はくらべられっことは違い、曲名が歌詞の中に出てきません(タイトルの言葉を何度も歌詞に練り込むのが多いツユさんの曲の中では珍しかったりします)

一つヒントを出すと、実はある言葉の略語であり、その略語は歌詞として出てきます。

そして、その言葉こそ、今回のテーマの一つでもあり、少女の状況を示す言葉でもあるのです。

強い絶望を嘆く曲

前回のテーマが劣等感と言いましたが、正確には劣等生の劣等感ですね。何を当たり前のことをと思われることがあるかもしれませんが、今回の曲は反対に近いです。優等生の絶望、そしてその奥にある強い劣等感について歌われた曲です。

どこか、ふてくれされたような、開き直ったかのような言葉が多い「くらべられっこ」に対し、今回は静かな前奏から一気に絶望を喚き散らし、優等生であることを望んだ何かに対して怒りをぶつけ、希望を持って生きることができている存在の憎しみを吐き出します。

とはいえ、やはりそういったものを憎みたいというよりは「くらべられっこ」でもあった「放っておいてほしい」の気持ちが強く、どうにもならない現状に対してふさぎこみながらも、激情をおさえきれないという矛盾めいた衝動を感じられます。

「くらべられっこ」と違うのは最初から最後まで嘆きを歌い続けること、そして、嘆く力すら失いつつあるということです。

昔は、昔は……。

曲の特徴の一つとして、過去を振り返るような場面が多く出ます。とはいえ、単純に「昔は良かった」というよりは、「昔の自分はどれだけ馬鹿だったんだ」とか「昔の自分はどれだけ甘かったんだ」というようなことを嘆き、今の自分になるとは思いもしなかった、と後悔しています。

昔を思い出して、そして昔に囚われてしまうというのはよくあることですが、それは良い意味でも悪い意味でもあるみたいです。

トラウマや、障害みたいな形で悪いものをひたすら思い返してしまうということもあれば、昔にとらわれて、今を認められない、もしくは少女のように自分を許せないという状況に陥ってしまうこともあります。

「くらべられっこ」が周りとの比較で苦しむ劣等生の曲ならば、「ナミカレ」は過去と今との比較で絶望する優等生の曲なのかもしれません。

劣等感は自分すらも飲み込むのです。

劣等生すら負ける自分

優等生の曲と言いましたが、劣等生を見下すようなことはなく、むしろ劣等生を羨むような表現が多く入っています。全てに諦めて、悲観的にしか捉えられない自分とくらべ、無理そうでもひたすら挑戦し続ける姿、何度だって諦めない姿、あまりに自分に絶望が強すぎて

誤解を恐れず言うならばみなさんも同じような経験があるのではないでしょうか?

「自分は優等生だった」と言い切れる人はそうそう多くはないでしょうが、小さい頃、「この子にこういう面で勝っている」とか、「この子には何だって負けない」とか思っていた子が、時がたつにつれて、自分はどうあがいても行けないよう場所へたどり着いていた、みたいな経験です。

ちなみに私はあります。というよりそういう経験だらけです。もちろん私は劣等生ですが、もっとひどい劣等生を見てひそかにほくそえんでいた時代がありました。しかし、風のうわさからそういった人達の活躍が聞こえてくると、嘲笑していた自分の醜さと、そしてその活躍っぷりの劣等感にかなり長い間、蝕まれた記憶があります。私が他人に優越感を感じられなくなったのはそういった経験が多くあるからかもしれません。

少女にこのような醜さがあるとはいいませんが、やはり劣等生にすら劣等感を感じてしまい、やがて他の人の劣等感すら届かなくなってしまいます。残ったのは自分の孤独感にふさぎ込む自分の劣等感だけ……。

そうなってしまうともう絶望しか残らなくなってしまうのでしょう。

総評

一言で言ってしまうと悲しみと絶望と劣等感の曲です。そして他のものが一切入る余地がありません。

「自分は優等生だった」と言い切れる人はおそらくそんなに多くはいないと思いますが、ただ、「過去の良かった自分」を見て、今の自分とくらべてしまうというのは誰にでもある経験だと思います。

そういった状況から抜け出せる方もいますし、永延に囚われてしまう方もいます。

抜け出せたほうがいいとおっしゃる方は多い……というよりほぼ全員だと思いますが、私はそうとは思いません。

もちろん、「ナミカレ」の少女のように苦しみ続けろと言っているわけではなく、劣等感だらけの人間が抜け出せてしまうと、「誰にでもできる」と錯覚を抱きやすくなる傾向があると思います。

成功の裏には苦しみがあり、更に言うならば誰かの成功は誰かの苦しみでもあるのです。

劣等感から抜け出せないほうが、人の気持ちを考えやすくなる、というのはやはり少なからずあるのかもしれません。(もちろん全部が全部そうだとは言いません)

あまりにも迫真に迫った彼女と、絶望に満ちた曲を聞いて、色々な感情が生まれると思います。ただ憐れむか、どうしたら救えると思うか、自分の苦しみと共有することを考えるか。あるいはもっと残酷な感情か。

多分そこに正解なんてないのでしょう。もはや少女が何を望んでいるかすらわかりません。そして、現実と同じようにどうしたらいいかは考え抜いて決めるしかないのです。

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