家族は絶対ではありません。そもそも「家族」ってなんでしょう?私達はちゃんと理解してないかも知れません。『家族という病』:著  下重暁子さんの本を紹介します。レッツ・ポジティブ・クリティカル!!

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ポジティブ・クリティカル!

おすすめできる人

  • 家族に悩み事を抱えている方
  • 他人の家族の話を聞いて羨ましいと思うことが多い方

※ポジティブ・クリティカルとは?

世間で全肯定されがちなものをちょっとだけ否定して見るような考え方をしようという私が作った言葉です。

最初に

家族

たった二文字でも温かみと、幸福感が伝わる言葉です。

家族団欒、一致団結、血より強い絆はないと言われているほど、日本でも世界でも、大切にされている存在と言えるでしょう。多くの人が目指すべき目標でもあり、そして守るべき宝でもあり、そして「家族の集まりこそが国である」という主張さえあります。

どんなときでも最後は家族さえいれば乗り越えられる。家族さえあればほかは何もいらない。そんな本や映画は日本ではたびだびヒットしますし、実際感動する作品は非常に多いものです。(当ブログでも少し前にまさに困難を乗り越えるこんな家族映画を紹介しましたね)

さて、そろそろ現実を見ましょうか。

幸せな家族の全てが幻想とまでは言いませんが、家族同士の問題、あるいは争いが多いのもまた事実。太古の歴史より、家族同士で争う話は数多く存在し、様々な形に変えて今に続いています。

以前に葬式について語るこの本でも紹介しましたが、家族間の争いは決して他人事ではありません。多かれ少なかれ、家族の繋がりというのは決してただ幸せなだけではない、場合によっては誰かを強く傷つけてしまうことさえあります。

「そんなの少数派でしょ?ドキュメントの見すぎでしょ?」という声が聞こえてきそうですが、果たしてそうでしょうか?

自分の例で恐縮ですが、私も姉がいて正直非常に仲が悪いです。他の家庭の兄弟の仲が良いという話を聞いても、「え、作り話?」とついつい考えてしまうぐらいであり、「でも兄弟なんでしょ?」という問いかけにはこれまた失礼ながら困惑するしかありません。

つまり、ただ家族を全肯定しているだけでは、そのような問題を見てみぬふりをしてしまったり、あるいは強引な解決手段を望んでしまうかも知れません。

そんな家族の問題点について一石を投じた作品がこちらです。

家族に最低基準を求めないでください。あなたの思う「最低」は、いつだって簡単に下回るのです。悲しいとは思いますが。

どんな本?

元女性アナウンサーであり、現在、文筆やエッセイ活動をしている著者がかつての自分の家族を語りつつ、日本のあまりにも美化されすぎている家族像に一石を投じる本です。

もとアナウンサーだけのことはあり、多くの人の家族の基礎のイメージを作り上げたテレビの真相、古くからある家族の慣習、そして女性視点で語る「家族のしんどさ」はついつい全肯定してしまいそうな家族の理想像の陰をあばきだし、家族でつらい思いをしている人たちの存在を思い起こさせます。

とはいえ、家族の存在を全否定しているわけではありません。どちらかと言えば、全肯定をしがちで隠れてしまう家族の問題点を見つめ直し、よりよい家族を作るため、あるいは、家族以外の幸せを見つけるための本です(少なくとも著者にとっては後者だったと思われますが)

幸せな家族生活を送っている人には”世間の”ではなく、”自分の”家族の幸福さを、そして、家族につらい思いを抱えている人にはその苦しみに歩み寄ってくれるような本です。

おすすめポイント!

「あるべき」の治療、真の家族の理解

突然ですが、あなたは自分の家族についてどれくらいご存知でしょうか?仕事、趣味、好きなもの、嫌いなもの、過去、最近の出来事、大切にしているものなどなど……もちろんすべてを知っていなければならないなんてことはないですが、どれくらい答えられたでしょうか?

驚くべきことに、家族よりも周りにいる友人のほうがよく知っているということも少なくないのです。友人は多かれ、少なかれ努力しなければなることが出来ず、親友と呼べるような関係を作り上げるには、さらに努力をし続けなければなりません。

一方で家族はどうでしょうか?意外にもお互いに理解はいらないものです。基本的には一緒にいるのが当たり前であるため、歩み寄るための遠慮ですら希薄なものです。親しき仲にも礼儀ありという言葉はありますが、家族に礼儀を強要する家庭は、まずないでしょう。

そのため、家族のイメージはなんとなく、世間のイメージと繋がってしまいがちです。

そして、世の中の一般性、あるいは世論などから、家族は「こうあるべき」あるいは「こんなことはしないべき」といった定説が流布されており、人は無意識に支配され、自分の家族もそれに貶めてしまい、なんとなく理解することを放棄してしまうのです。

さらには他の人の家族も、この「幸せな定説」に外れることなんてないと考えてしまうことで家族が生み出す痛みや苦しみを「当然耐えるべきもの」と考えてしまい、少しでも異端な意見は排除される傾向になるのです。

この本から学ぶべき第一は、「自分は自分の家族すら理解していない」ということであり、そして「家族はこうあるべき」の多くは幻であることに気づくことだと思われます。

最も家族を雑に扱えとか、家族はいなくてもいいだとかそういう事を言っているのではありません。そうではなく、家族というのは「もっと自由であっていい」「”べき”という言葉などは本当に最低限でいい」とかんがえてほしいのです。

作者の悲痛な家族経験、そして家族のイメージが歪ませた価値観など、この本を読んでいけば、家族への理解への重要性、そして世論的な家族像の危険性がどんどんわかっていくでしょう。

幸せと不幸の正と負

「家族に囲まれてゆっくりと死んでいきたい」という願望を抱えている方は決して少なくありません。感動する物語のエピローグ、あるいは現実の理想の家族像でもそんな光景を想像すると、不思議と温かい気持ちになるものです。

自分もそうなりたいと思っても不思議ではなく、

では、全くの逆の孤独死は本当に同情されるほどつらいものでしょうか?私はそうでもないと思います。もちろん望まぬべくしてそのような状態に陥ってしまった方もいらっしゃいますが、最後まで自由に生きた証として孤独死を望んだ人もいるのではないでしょうか?

さらに逆を言うのならば、家族を持つことに関しては受け入れたとしても、最期はせめて、自由に自分らしく生きたいという望みを持つ人も少なくありません。孤独死とまではいきませんが、それこそ「家族に迷惑をかけたくない」という望みのまま、その時を迎える人もいるのです。

このように、家族が関わるものはついつい無条件で肯定したり、否定したくなるものですが、少なくともそれは絶対の真理ではありません。人間の持つ望みや価値観によって世論の常識などあてにならないことはたくさんあるのです。

極端な例と思われるかも知れませんが、この極端な例がいくつもあるのであれば無視はできないでしょう。プラスの中のマイナス、マイナスの中のプラス、あって当然なのですから、全肯定も全否定するのも危険なことなのです。大多数が、望んでいたとしても、決して万人が望むものではありません。ましてや家族という血の繋がりは望んで結ぶものではない以上、選ぶことが出来ないのは苦痛と言ってもいいでしょう。

最も、それはただ気をつけるためのものではなく、あなたにとって本当の幸福を見つけるためのヒントにもなり、そして他の人を救うきっかけにもなりうるのでただの批判と受け流すのはもったいないことです。

この本の中には、著者のエピソード、著者が聞いたエピソード、あるいは最初は家族を絶対視していた人がその絶対視を疑問に思うきっかけとなった話など多く組み込まれております。

家族をただ否定するのではなく、絶対視をやめることでより、家族を理解できるでしょう。少なくとも家族がもたらすプラスの部分だけを見ていれば理解しているというわけではないのです。

結局『家族』ってどうあるべき?

なんて見出しのようなことをついつい思ってしまった方はもう一度思い出してください。「べき」「しないべき」とついつい考えてしまう家族の絶対視が著者の、そして多くの人たちの悩みや苦しみの原因となっているのです。

だったら答えは一つ。「特定の答えを持たないこと」です。家族はただ家族でしかなく、それぞれの自由を妨げるようなことになってはいけません。家族の中でもそうですし、家族の外であってもそうです。

じゃあどうやって自分の答えを知るべきでしょうか?もう一度言いましょう。「自分は家族のことを知らない」という自負を持つことです。

知らないとわかれば初めて知るようになる。ソクラテスの「無知の知」ではないですが、「家族を理解しよう」という気持ちを生み出すには必要不可欠です。

もし自分の家族について深く知ることができ、そして知ることの重要性がわかれば、同時に他人の家族のこと理解することは”より”難しいということもわかるはずです。更に言うのならば、その苦しみは家族で癒せるものか、あるいはより傷つけるものかがわかればはじめて誰かを救う手がかりが作られるのです。

自分の家族が自分に必ずしも一緒にいていいことがないと分かれば、離れるという選択肢も生まれることが出来、さらにそれが今まで家族という病と呼ばれるほどしんどいものから開放されるきっかけにもなるのです。家族をぞんざいに扱っているように思われて薄情に思われるかも知れませんが、そもそも無理に一緒にいるほうが返ってお互いにマイナスになることもあるのですから。

本の中で登場する著者が嫌悪する様々な家族を絶対視する人々……悪気はないと思いますが、ただ「一般的な家族はこうだから」と主張するだけでは問題は解決しません。著者の痛みに向き合うことで、家族の絶対視が解消されることを祈っております。もちろん、家族を否定するためではなく、ただ家族を家族として見るためにです。

その答えを見つけるきっかけになる本と言えるでしょう。

注意点

できれば、多くの人に読んでほしい本ではありますが、あまりにも家族を愛している人には理解できない内容かもしれません。ただ、むしろそういう方に読んでほしいという気持ちもあり難しいところです。

あと、もし家族がいなくて家族の重要性を知ってほしいと思っている方は……この本は読む必要はないかも知れませんが、やはりそれは”世間の”ではなく”あなた”の家族を大事に思っていてほしいです。

最後に

この本を読んで一番思ったことは、「幸せな家族は決して普遍的なものではない」ということですね。もしこの本を読んでいる方が家族をただ愛し、一緒にいることに不平不満がないのであれば、絶対に否定はしません。ですが、できれば、非常に幸せなことだと思ってほしいです。

だからといって「自重しろ」とか、「慎ましく生きろ」とか言いたいわけではないです。家族に様々な幸せの集大成というようなイメージを持っているのならば、少しだけ崩してください。

ドラマなどでも「どれだけ反目しあっていても最後はわかりあえる」とか「誤解やすれ違いが起きていただけだった」などを見てしまうと結局「家族はいいものだ」という結論に陥りがちですが、違います。根拠はこの本だけではありません。私も様々な人の話や、本を読んできましたが、やはり、家族であることが辛い人たちも多く、家族であるしがらみを捨てれば幸せになるために生きることができる人も多くいるのです。

もう一つ重要なことがありました。

「家族」に複雑な感情を持つにしても男女になると大きな違いがあるという部分です。どちらがより強いなんていう不毛なやり取りをするつもりはありませんが、少なくとも同一視してはいけないことがわかりました。ここでも、お互いの家族観がたとえ同じようにネガティブなものだったとしても違うということを理解する必要があるでしょう。

家族にもしなんらかの”しんどいもの”を感じている方はこの本を読んで、自分が決して異端な存在ではないことをどうか知ってください。そして、家族に不満のない方はもしつらそうな人を見て「助けたい」と思ったのならば、家族以外の幸せを見つける手助けをしてあげてください。

たとえ、見つかるのが難しいのだとしても、あるとさえわかれば、この病から解き放つことができるかも知れないのですから

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