発達障害そのものを”書く” とある作家の経験と考え 市川拓司

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その他

おすすめできる方

発達障害、それも大人になってから障害に気がついた方

この作家さんが好きな方

障害を科学ではなく、一人の思想から考えたい方

自己紹介のところも述べましたが、私はアスペルガーであり、また発達障害とも言われている、まあざっくり言えば障害者ですね。

この障害が厄介なのはなかなか気づきにくいことです。もっと言うならば周りの理解が非常に悪く、また、本人も認めたがらない傾向にあるため、わかりやすい障害より厄介という方もいます(わかりやすい障害がなんの問題もないといっているわけではないのであしからず)

私も単に落ち着きがない、調子に乗っている、あるいは冗談で障害者っぽいと学生時代は散々に言われてきましたが、まあ要はただの欠点ととられがちであり、本人の努力でどうにかなるという極めてポジティブ思考でゴリ押しされがちです。

まあ、どうにもならなかった例が私ですが。

正直今でも自分のことを健常者の皮を被った異常者、あるいは異常者の皮を被った健常者と考えてしまいます。科学的に証明されようが、いろいろなお医者さんの言葉を聞いても、いまいち信じられないという部分はやはりあるものです。

認められないのはどうしてか。

認めてしまうとやはり劣等感や、あるいは自分の怠惰みたいに思ってしまう部分があるからなのかもしれませんね。少なくとも私は障害でできないことを怠惰と考えたり、やはり劣等感は……すみません。劣等感は多分障害関係なく多分めちゃくちゃ強いです。

それはさておき。

つまり、障害が劣等感にならず、怠惰の認識ではなく、一種の推進装置と考えられれば受け入れられるということです。今回のお話は自身の障害を小説世界に落とし込み、大きなエネルギーとした人のお話です。

ちなみに、当ブログではあくまで本を単体で紹介し、著者様の情報についてはあまり触れない方針で進めております。しかし、かなり有名な物語を書いている方でしたので興味がある方は調べてみてください

自伝とフレーズ

この本は、第一章で著者の方が発達障害(最も最初の方は自覚がなかったようです)でどのような人生を送られてきたか。そして、以降の章で障害に関して様々な考えを語るという構成になっております。

そして小説家らしく、自分自身の小説から特定のフレーズを引用し、自分の主張と結びつけるという独特な語りをして自分の作品にどのように障害の力が働き、そして、作品がどのように自分の生き方に反映されたかといったことを中心に、自己を分析して、さらに他者も分析していきます。

私は一部の物語しか知りませんでしたが、それでも、「ああ、このときの言葉はこうして生まれたのか」と、著者と一緒に感慨深く読む気分を味わえました。

科学的知識などの裏付けはなく、あくまで、著者の方の知識と経験、身の回りの出来事だけで主張は進んでいきますが、やはり、小説家という文字を使う職業の人の言葉は説得力を感じられます。

それが売れた小説を書いたという”権威”によるものなのか、それともこの人の人柄によるものなのか、あるいはその両方なのかまではわかりませんでしたが、しかし、大きな力に引き寄せられている感覚はわかりました。

障害の力

この方は障害を剣、盾に、足に、血に、命に、全てに変えている、という印象を抱かせました。

障害をもとに周囲から逆境をはねのけ、むしろかえって自分の力にし、そして障害そのものではなく、障害から知り得た知識や力を活用し、そして、さらにその力を広げていく。

恐らく、当人はそこまで自覚はしてないかもしれません。ただ、自分の生き方を通していき、周りの環境に適応ができないので、周りの環境が適応できる場所を探り当てた、という印象です。

ただ、まあ正直に言ってしまうと、この方が発達障害だからできたことではあっても、誰もが発達障害だったらできること、ではありません。(詳しくは総評にて)

少なくとも、私はこの方みたいにすごい小説は一生書ける気はしませんし、そうでなくても、読んでて「実行するのは無理だなー」と思うようなことも多いです。

しかし、間違いなく、障害は個性であり、個性というのは悪い部分だけではなくいい部分もある、という主張は信じられるものであり、この本、そして著者の世界観を通して、自分の中の何かを見つける手助けにはなります。

無理に探そうとはしないでください。あくまでも余裕があるときにです。

「間違っている」見方

「〜は正しい」「〜は間違い」「〜をしなくてはいけない」「〜をしてはいけない」

障害者がぶつかる大体の壁は次のような言葉であり、著者もけっこう言われ続けていたみたいです。彼は戦い続けたわけでもなく、耐え続けていたわけでもありません。

貯め続けていたという形になりました。鬱憤やストレスなどというネガティブなものではなく、力や知識というポジティブなものでもなく、もっと原始的ななにかです。

彼はその原始的な何かをポジティブにもネガティブにもフル活用し、世界的な有名な大きな作品を数々生み出しました。

原始的な何かについては今、私が考え言葉であり、うまく説明ができないのですが、少なくとも「間違っている」と言われたこと、そして著者自身の「間違っている」考え方として生まれたのは間違いありません。(間違い続きです

原始、要は源ということですが、源を知ることができれば、何が間違いで何が正解かわかりやすくなります。そしてそれは実は正解でなくてもよいのです。ただ、納得できればいいだけのことであり、この方は納得して、源を力に変えたのでしょう。

総評

なかなか小説の方らしく、難しい表現や全く知らない知識の引用などもありますが、文章としては親しみを覚えやすく、頭に入れたい部分だけを入れやすい本でした。

障害を糧に生きている人、障害を持って苦しみを力に変える人、やはり大いに励まされるのはネガティブ感からかポジティブ感からはわかりませんが、上記で述べた大いなる原始的ななにかの作用なのかもしれません。

かといって障害者だったら全員、大きな力を持つことができるみたいに考えるのも個人的にはあまり推奨できません。プレッシャーになってしまうからです。この力はあくまで自然に強めていくものです。

ただ、まあ、正直に言いますと。

やはり、あくまで成功者の理論ということはやはり否定できません。というより障害者が出す本は大体、すごく辛い経験談を語るか、あるいは障害で成功できた、そこまで行かなくても何かしらのいいことがあった話のどちらかです。

そして今回は当然、後者なわけですが、こういった本はもちろん目指す指針に希望にもなりえますが、同じくらい、劣等感や重荷にもなりえるという面があり、本の内容自体はポジティブなものですが、当然ネガティブなものにもなりえます。

もし、読んでて何かに押しつぶされそうな感覚があったら、すぐに読むのをやめたほうがいいとも思います。そして心に余裕ができたと思ったときに読んでみてください。

合う合わないというのは人だけではなく、時間や環境によっても変わるものですから。

余談

作中で出てきた本で色々このブログに紹介できそうな本がありましたので機会がありましたら記事を書いてみようと思います。先回りして読んでおいても面白いですよ?

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