テーマは「贖罪」と「??」悲しく、辛い思いの果て。人生の中の一つの答え。『許されようとは思いません』 タイトルの意味……気になりません? 著 芦沢 央

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その他

p304(あらすじ含めるとp311)

こんな人にオススメ!

  • 「ホラーは好きだけど幽霊とか心霊現象はちょっとな……」
  • 「罪とか欲望についての物語が読みたいなあ……」
  • 「許されたくない?そんな感情になることなんてあるの?」

この本を読めば

そうか!こういうことだったんだ!という気分が味わえます!!

最初に

怖くて腰が抜ける人のイラスト(男性)

当ブログでたびたび記事にするミステリーの他にホラーもネガティブ要素は強めですね。

現実社会に目を向けたホラーはもちろん、幽霊や怨霊の類がでるものも奥には様々なネガティブ要素が秘められてます。社会問題、人間関係のもつれ、ちょっとアブノーマルな人の事情などなど目を背けてはいけない問題、そして作品によっては解決するためのメッセージが込められています。

といってもそんなマクロ観、社会的問題みたいに捉える必要はありません。自分自身が、あるいは身近な人が不幸な目やつらい目にあった時に、辛い目にあった人のことを知っていれば、少しでも楽になる助けになるかも知れません。

ただし主観的な感想で申し訳ないですが、不幸話を聞いて誰かに話す時、絶対に言ってはいけないことが一つあります。

「あなたよりもっと辛い人がいるんだよ?」

↑厳禁です!!

※驚かせてしまいごめんなさい

あくまでホラーで得た物語や教訓は、誰かの行動をある程度に律するため(例:外に不用意に出歩く、いじめなどの犯罪行為)あるいは誰かの気持ちを楽にするために使ってください。決して追い詰められている人に発破をかけるような真似は、言ってはいけません。というのもつらい経験に対する知識や経験を語るという時は、受け取る側はもう限界が近いときだからです。

どうしても発破をかけたいというのならば、そういうときこそポジティブのほうがまだ向いています(ただし、向いているポジティブと向いていないポジティブがあります。いつか話します)

大切なことは言ったので今回の物語の話にしますね。どこか寂しさとおどろおどろしさを感じる表紙から分かる通り、ホラーであり、そして短編集でもあります。タイトルでもある『許されようとは思いません』は普通では考えられませんが、読んだら納得がいくものであり、そして人類が向かうべき課題を表しているとも言えるでしょう。(ちょっと大げさですが)

今回はちょっと趣向を変えて、短編ごとにタイトルとあらすじ、そしてコメントをネタバレにならないように述べていこうと思います。(※タイトル後につけた言葉は私のオリジナルです)

目撃者はいなかった

自身すら火傷しそうな対岸の火事を消しに行く人は世界にどれくらいいるのでしょうか?

あらすじ

営業職に努めている修也は、突然、営業成績が評価され、戸惑っていました。「自分がこんな成績を取れるはずがない」と一番にわかっていた彼は仕事を調べなおした所、新人ですらしないようなミスをしていたことがわかったのです。

謝ってミスを訂正すべき、わかっていたものの上司や先輩、勤め先からの失望、嫌悪、怒りなどを向けられることを恐れた修也はとある計画を練りました。幸い、うまくいったことでミスを隠せそうだったものの、計画の途中で車の事故を目撃してしまいます。

更には別の日に新聞を読んだ所、彼が目撃した事実とは異なる記事が掲載されており、このままでは被害者側が有責となってしまいます。それでも、彼はミスを隠蔽しようとしたことが発覚することを恐れ自身が目撃者したことを隠しつづけることになるのですが……。

汗をかきたくなる心理状況

事故の目撃者となるという日常ではなかなかありえない話ですが5つの物語の中では、一番身近に感じます。

基本的に人は失敗をしますし、怒られもしますからね。

正直に言うと、私はミスをすることとミスを隠すこと自体はそんなに悪いこととは思っていません。隠すことで誰かに迷惑をかけたり、あるいはミスを再発しないように対策しないのであれば悪いことですが、自分で責任をとって、自分でフォローできるならむしろプラスにさえなると思います。(最も仕事におけるミスというのは思いがけないところで支障をきたすので基本的には正直に責任者に言ったほうが一番傷は少ないとも思いますけどね)

作中の話に戻すと、彼はミスを隠すことで救える誰かを救わないと決めています。挙句の果てに、自己弁護や正当化をし始めるなど、かなり嫌悪感が湧く人もいらっしゃるのではないでしょうか?

とはいえ、見ず知らずの他人のために、自分が傷つくことをわかっていながら助けられる人というのは意外と少ないものです。むしろ助けられる人が立派なのであり、あまり、修也という青年を責めるのも難しい話です。

私が同じ場面にいたらちゃんと隠さず言えるかと言われると……その時になってみないとわからないと思います。

ありがとう、ばあば

子供は何を考えているかなんて簡単にわかると思っていませんか?

あらすじ

ある日のこと、一人の老婆が寒空の中、締め出されました。家の中にいる孫である杏は無表情で見つめています。怒って”やっていいことと悪いこと”について叱りますが杏ははっきりと自分の行動が”いいこと”と口を動かしました。

そして、死が近づいてくる中でゆっくりと思い返します。自分が「孫のため」と言いつつ孫に何をしてきたのかを。

人気の子役となるまで育てられ、そして今、小さな執行者となった孫の数々の動機になりえたものを。

子供の望みと考え、そして個性

「突然突発的に動くから子供から目を離せない」などと言った声と同時に「これが好きだからあげたら言うことを聞く」といった矛盾めいた言葉が多く存在します。つまりコントロールできているようでできていない、というかできるわけがないというのが子供です。

子供が言っていることと、子供が本当に望んでいることが同じとは限らないのです。ましてや作中の杏は大人としての振る舞いを求められる”子役”ですからね。一般論の「子供が本当にしたいこと」になるとなおさら当てになりません。

”子役”の子供はもはや、子供ではない部分があるのかも知れません。

まあ、とはいえ、正直、祖母もどこかちょっとおかしな部分があるので「なるべくしてなった」という一面がないとは言えません。

さて、彼女の孫の杏は一体何がきっかけでこうなってしまったのか、そもそもその”なぜ”ですら正しいのか。ぜひ答えを考えてみてください。

最後の祖母の答えですら違う可能性があるのですから。

絵の中の男

苦しみが力になるってそんなにいいことですか?

あらすじ

とある絵画の売買をするために集まった二人がいました。朝宮二月という女性の絵師は恐ろしく、迫力の強い絵を描くこと、そして不可解な事件がきっかけで亡くなったことで有名でした。

実は、この二人はそれぞれ、二月という絵師に関わっており、売るのも買うのも理由があってのことでした。そして、ふたりとも売買に至った経緯を話し始めるのです。

彼女の存在、彼女の家族の存在、そしてどうして事件が起こってしまったのかを……。

バネは強すぎると摩耗が進む

「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。何が不幸になるか、何が幸運になるかというのがわからない、という意味ですね。これは自分にとってという意味でもあり客観的に見えて、という意味でもあります。二月という絵師はある出来事がきっかけで、すごく売れるようになりましたが、同時に苦しみを背負うことになりました。彼女自身の問題だけではなく、知らない人間も彼女に苦痛を与えます。

人気が出る、名声が出る、そして好きなことで生きていけるようになる。間違いなく幸運に繋がりましたが、一方できっかけは想像もできないほど辛いものでした。物語としてはよくあることですが、結局の所、悲劇的な出来事が力になることは本当にいいことなのでしょうか?確かに悲劇が悲劇のままで終わるよりは良いとは思いますが、生まれた力は人の命を削って生まれた力のように思えました。

第三者から見た視点で進むので結局、この二月という絵師がどう思っていたか、どう感じていたかはわかりませんが、彼女は自分を「許せなかった」という部分は少なからずあると思います。

姉のように

わかってください。多くの人は急な変化に合わせられないんです

あらすじ

ある家庭で虐待死が起きてしまいました。わずか3歳で母親による暴力でこの世を去ってしまった少女に対する世間の怒りは凄まじいものがあります。そして、事件を起こした姉を慕っていた「私」は急激に変化した世間の姉への評価、そして、関係のない他者、ママ友たち、そして夫ですら急激に変わってしまった自分の目に戸惑いを覚えます。

そして、自分の娘である結花に対する接し方にも恐怖を覚え始め、次第に追い詰められていきます。

彼女がここまで苦しめられる理由はどこにあるのでしょうか……?

加害者の身内でも被害者の身内でもある人はどう見られるか

「私」が徐々に追い詰められている場面、周りの人間への嫌悪感が湧いてくる小説で、1つ目の物語と同じくどこか現実味がやや強めです。犯罪者を見る目はどうしても厳しいものになりがちですが、一方で、犯罪者の家族に対しても理不尽と言えるほど態度は冷たくなります。(露骨になるかどうかはおいといて)

世間がいう「更生」という言葉ですが、果たして罪を追わせていない人間ですらここまで苦しめられるのに、「更生」という言葉は成り立つのでしょうか。適当に許したり適当に罰を与えたふりをするのが「更生」なら可能かもしれませんが。

正直に言えば、世界はかなり理不尽であり、そして愚かさを兼ねています。まともに考えないほうがいいとすら思えるほどです。作中でも突然不幸に見舞われた彼女自身のことを考えず、罪のない彼女を責め続けます。もし「私」を救えるのだとしたら、お互いに傷ついたとしても徹底的に理解しようとするしかないのかも知れません。

もっとも、すべてを読んでも今ひとつこの物語の「私」が理解できず、「私」に何をしたら救いになるのかもわかりませんでした。しかし、わかったふりをするよりはいいかもしれないとも思います。夫のように。

許されようとは思いません

許されないことは絶望でしょうか?

あらすじ

祖母が生活してた村へ恋人と一緒に訪れた「私」は、祖母のことを思い返しました。殺人犯として捕まり、そのまま死んでいった祖母ですが、少なくとも「私」にとっては優しい人であり、そして、悲惨な人生を歩んだ人でも有りました。

村からは村八分を受け、何もしない夫の世話をします。

そして、どうして彼女が殺人をしてしまったのか、改めて自分の祖母を知っても自分を受け入れてくれた恋人とともに考えます。彼女は本当は何を望んでいたのでしょうか?

望み

罰というのは人を苦しめるものではなく、人を更生させるためのものというのが一般論ですが、”一般”という言葉を使う割にはかなりよく忘れられます。理由は2つありますね。

1つ目は”罪”を見つけたら更生させる、というよりは、「ただ責めたいから責める」という外部の理由が多く存在します。ネットなどもそうですが、行動や理由、酌量の余地などを考えず、単純に人格否定、甘え、根性論などを盾に人を責める人が多くいるからです。

もう1つ目は”罰”自体を望んでしまうこと。めったにありませんが、罰を受けることで自分の望み、例えば「死」「追放」「贖罪」などが達成できてしまうから、ですね。

あまり出したくない例ですが、「死にたいけど死ねなかった」という理由から事件を起こす人はわずかでも存在します。つまり、罰が望みだったわけです。

普通なら考えられないでしょうが、過酷な状況においては一般論は得てして力を持たないものであり、そして学ばなければ理解が出来ない事態となった時、人は学ぶか、あるいは学ぶ対象を落とすことで理解しようとします。

果たして、祖母はどうして「許されようとは思いません」と言ったのか、もちろん、「私」の推測ですが、驚きの答えが待っています。

終わりに

タイトルから連想できますが全体的に「罪」を意識した作品です。もっと言うのならば、「罪」を起こした人間ではなく、罪に対する関係者と周りの人間に対して焦点を当てた作品が多く見られました。

犯罪者と聞くとどうしても嫌悪感を抱いてしまうものですが、理由を知らずに責めるのはあまりよくありません。最も本人が理由を話そうとしないこともあるので、なかなか難しいものがありますが。

一つ言えるのは、もし罪をほんとうの意味で更生させたり、あるいは減少させたいというのならば、必ず「罪」と「罪人」を深く知ることから逃げてはいけません。例えば、いじめでいうのならばいじめっ子が更生するということは、いじめを知り、いじめっ子を知り、そしていじめ減少に働いて初めて更生になるのです。

読んで気分が爽快になるようなものでは有りませんが、人間の闇に触れる面白さと、そして人間は完成された存在ではないことを思い知り、そこから成長につなげられるきっかけになる本だと思いました。

ホラーとして何かを抑止できるとしたら……軽はずみに人を攻撃しないことかも知れませんね。

もう一つのテーマ

「無知」ですね。終わりにでもいいましたが、罪人を知らずに罪人を責めるのは危険です。作中でも多く見受けられました。

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