テーマは「復讐」と「??」人々が望んで生まれた法律「復讐刑」は、救いと痛みをもたらすものでした。『ジャッジメント』小林由香

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p267 あとがきなし

オススメできる人

  • 凶悪犯罪がどうしても許せない方
  • 日本の今の法制度に疑問がある方
  • 「目には目を」をという考えが好きな方

今回のテーマは「復讐」です。

ネガティブさを感じさせながらも、人々を惹きつける言葉です。そして、賛否両論が非常に分かれる言葉でしょう。

以前はどちらかというと復讐に対してポジティブ面を強く出した小説を紹介しました。復讐がテーマといっていいかは微妙ですがこちらの記事です。

では、今回は復讐の表現はネガティブなのかというとそんなこともありませんが、ポジティブとも言い切れません。一言で言うならば「痛み」です。

現実では到底実現されそうにない法律による刑罰、「復讐刑」に関する小説であり、被害者と加害者、そして世界を見続け、意義に関して客観的に、しかし、人情をもって見続けた男の話です。

物語が強いネガティブを秘めている理由、罪を犯すことにためらいのない凶悪犯や、刑の残酷さも含まれていますが、私が思う一番の理由は、読み終わった後でも、「復讐刑」を完全に否定することは出来ず、かといって簡単に認めることもまたできない、という苦しみを読者に生み出すからです。

しかし、法律と正義について考えるには苦しみはやはり必要なものかも知れません。

あらすじ

凶悪犯罪で大切な人を命を奪われる事件はいつの時代でも起こります「同じ目にあわせてやりたい」「あの人と同じ苦しみを感じさせてやりたい」そういった感情が生まれてもおかしくはありません。そして、新しい法律が生まれました。

「復讐刑」

凶悪な犯罪にもかかわらず、従来の法では罪が軽い人々の厳罰を望む声が形となったのです。法律の適用が認められた結果、被害者の遺族、あるいは親しい立場の人間は加害者に対して、被害内容と同じやり方を合法的に刑罰にできるという恐ろしくもあり、救いも与える法律です。権利がある人は、「復讐法」をとるか、あるいは従来の法律どおりの裁きを望むか選択します。

しかし、一つ条件がありました。もし「復讐法」を望むのならば、刑罰は「復讐刑を適用する」と決めた人間、すなわち遺族が行わなければなりません。

多くの人々がこの罰を支持し、多くの人々がこの罰の廃止を訴えました。しかし、実装されてからは支持をする声のほうが大きく、刑は執行され続けてきました。

そして、罰が正しく処されるかどうかを見張る人間が必要になり、「応報監察官」という辛い仕事も生まれます。

物語は鳥谷文乃、応報監察官である彼は様々な人が被害者の遺された人たちによって刑が執行されるのをただ見守りました。痛みを被害者と一緒に受け続けてきた彼が最後に出した結論とは……。

「復讐刑」の過酷さ

復讐物、いわゆる敵討ちは童話だったら「さるかに合戦」、時代劇なら「忠臣蔵」などが有名でしょうか。憎たらしい悪役を正義の味方、あるいは優しい人間が勇気を振り絞って打ち倒すというのは王道ながらいつまでも好まれる物語です。ライトノベルや、一般書籍、漫画、アニメ、ドラマでもよくありますね。

残念ながら今作そういった「敵討ちを果たした後の爽快感」はほとんどありません。あるのは遺された人たちの怨念に近い憎悪と自身で裁かなければならないという重み、そしてもはやわからなくなってしまった被害者の望みだけです。

犯罪者は話数は少ないながらもはっきり「悪」と断じられるような人間が多いです。しかし、自分の考えや過去、そして被害者に対する後悔、周りの目などから、刑、すなわち自分の手で命を奪うかどうかの選択、そして実行による苦しみと痛みを背負うことになります。

もしかしたら、「従来の法」のみの選択肢が与えられることが楽だったかも知れないとすら考えそうになってしまいます。

しかし、一方で被害者にとって刑が救いとなったという描写も多く存在します。そして刑を勇気を持って執行した人々を称賛する声もあり、決して「復讐刑」が一方的な悪であるという表現はしていないのです。

最も、だからこそ辛さを増しているのかもしれません。

正義感、愛情をもった第三者達は刑を執行した人間を褒め、そして貶し、刑を執行しなかった人間を褒め、また貶します。立場的にも、環境的に、愛憎をもって直接関係のない人たちは悪でも善でも犯罪関係者を責め立てるのです。

結局の所、完全な復讐による正義感は、全く関係ない人が見るところにしか生まれないのでしょうか?復讐をする側がどれだけ好ましい人物で、復讐をされる側がどれだけ憎たらしい人物だったとしてもです。

結局復讐は「悪」なのか

ある種、本作の裏テーマといってもいいでしょう。

私の個人的な意見を最初に言うのならば、「少なくとも正義ではない」ということでしょうか。

根本的なところで言うならまず、復讐は「正義」の専売特許ではありません。「報復」とも言い換えられますが、悪人だろうがなんだろうが、復讐はします。むしろ映画や小説の知識になりますが、悪人が行う復讐のほうが良心が傷まず執行できる分より、残酷です。悪人の報復を恐れるあまり、正義、あるいは誰かを救う行為を戸惑うのも人間の性質の一つであり、克服すべき課題と言えるでしょう。

では、悪人ではない人間はどうなのでしょうか。冒頭であげた記事の本を例に出します。かつてのいじめっ子たちに立ち向かった親子の話を紹介しましたが、彼らは正義のために立ち向かったわけではありません。過去に決別をつけて前に進む力がほしかったから復讐という形をとったのです。

更に言うのならば、復讐にも様々な形があります。「合法的に相手を罠にはめる」「相手を自滅を喜ぶ」というのも健全と言うには微妙なものから、「相手より幸せになる」「相手の存在を完全に忘れて離れる」といったポジティブを感じる復讐もあります。ただ、こういったものは「正義」というよりは、「決別」や「反撃」といった方が近いかも知れません。

良い、悪いはおいておいて、「復讐」は正義になりえない、と私は結論づけました。

一方で、一つ大事なことがあります。

「あなたになにか危害を加えても復讐されない」と相手に感じさせるのは非常に危険です。法が守ってくれると思うかも知れませんが、法は抑止力であり、また、この本を読んでいただくとわかりますが、常にあなたの味方ではありません。

たとえ、正義ではないにしても復讐、あるいは敵討ちと呼ばれるものは必要ではないということではないのです。問題はどこまで深く入り込むか、あるいは何かで代わりを務めさせるか、ということです。

ちょっと話がそれました。この本は復讐の必要性をまず強く押し出し、そして何が問題か、何が救いとなったかを考えるのに適していると言えるでしょう。

「正義」を一度外においやって読む方が良いかも知れません。

総評

法律の不完全さ、しかし、今ある法律の意味、そして合理性と人の持つ感情のバランスの難しさを感じさせられました。

やはり考えてしまうことがあります。

復讐に賛成する人たちは復讐をもたらす痛みをわかっているのでしょうか?誰もが同じ復讐をして誰もが同じ痛みを感じるとは限りません。

復讐に反対する人たちは大切なものが奪われても、復讐を反対できるのでしょうか?大切なものというのは抽象的なものではなく、最も大切なものです。

そして更に大切なことはもし、この2つの問に対して違う意見を言った人に対し、どうするのでしょうか?

徹底的に拒絶するのでしょうか?それともわずかでも歩み寄る姿勢を見せるのでしょうか?

もっともこの手のテーマは復讐だけではなく、全てに関して言えることです。「何か」に苦しみを受けた時、「何か」を憎まないか、「何か」をどこまでも許すことができるのか。

いじめ、鬱、パワハラ等、多くのテーマに等しく言えます。

そして誤解してはいけないのはこういう時に、抽象名詞を使ってはいけません。「家族」「兄弟」「友達」「夫婦」というのは人によって色んな意味があり、きっぱり言うのならば人によって重要性はかなり違ってきます。

「家族を愛するのは当然」「友達を大切にしろ」はあくまで一般論であり、すべての人に該当するとは限りません。

あなたが本当に大切にしている具体的な名詞をあてはめ、そしてただ「大切なもの」を共通項として考えるべきです。

「復讐刑」という仮の刑罰の意義、今の法律の正しさとの比較、そして人の「痛み」を強く知ることができる本です。

おそらくは忘れたくても忘れられない記憶と考えが心に刻まれるでしょう。しかし、刻まれた痛みが誰かを大切にするきっかけ、あるいは誰かを傷つけるストッパーになると信じています。

もう一つのテーマ

「他人事」です。

余談

ちょっと最近ネガティブ色が強すぎる作品ばかり紹介している気がするので、もう少し、ネガティブをポジティブ方面にするものを探してきますね。

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