「日本人でいるのが恥ずかしい……」そんなネガティブぶっ飛ばします!!『日本人の誇り』著:藤原正彦さんの本を紹介します!!

スポンサーリンク
ネガティブ・ブレイク!

おすすめできる人

  • 日本の歴史を見てげんなりする人
  • 外国に言われっぱなしの日本を見ていると落ち込む人
  • そもそも悲観的な思考にとらわれやすい人

ぶっ飛ばすネガティブ

日本人って集団になるとろくなことしない……

日本人も捨てたもんじゃない!!

最初に

※当ブログは戦争の是非、及び政治について語るのが目的ではなく、あくまでネガティブを解消するためのものであるということをあらためてここに書いておきます。

今回は紹介する本は日本の誇りという本です。もう最初に出しちゃいます!ドン!!

さて、今回のこの本ですが、正直に言うと紹介するかどうか非常に悩みました。というのもどうしようもないネガティブを打破するのには確かに役立つのですがやや政治的な風刺が多いですし、欧米諸国その他外国に対してまあまあ批判の嵐ですし、タイトルでわかると思いますがやや堅苦しい文章が多めだからです。

そして何より、最後の章の話はどうしても肯定できない部分がありました。ご存知(?)かわかりませんが、当ブログは批判禁止を謳っているものであり、かといって全体的にただ肯定部分を述べるのはあまりにも趣旨がそれてしまうからです

しかし、やはり、「日本人」で生まれてしまった以上、「日本人」であることは避けられず、もしその「日本人」であることを歴史やその他の要因でネガティブに陥ってしまったのならばこれほど悲しいことはありません。

というわけで紹介することにしましたが、その代わりに、当記事を持って批評を少しだけ解禁します。

どんな本?

どうして日本人がこうして自虐的になってしまうのか、どこか希望や誇りが持てないでいるのか、諸外国に権利や主張を言えないのか、国民が抱えている不満や不安を歴史を紐解いていくことで解決していこうという本です。

つらい戦争の歴史の話がやや長くなり、あまり個人としても社会としても触れたがらない話が多いですが、あえて突っ込んで見るといった具合ですので読むのはやや体力が必要となるでしょう。

しかし、よくよく読んでいけば、日本人が恥ずべき歴史と思っていたのはそうでもなかったこと、あるいは外国などと比較してみても歴史の捉え方は決してネガティブなものだけではないものなど誤解や考え方を見つけていくことにより、歴史の捉え方を見直し、そして日本人として生まれたことを誇りに思える手助けとなるきっかけになる本です。

歴史をよく知らないとか、あるいは日本人であるということを恥じたことがないという方にもおすすめです。いつか、自分の知らない領域で知識人を語る人から責められたときに「何を馬鹿な」と一蹴できるでしょう。それは、正しい歴史を知っているからという理由ではなく、歴史の多彩な側面、そして多彩な捉え方をこの本から知ることができるからです。

おすすめポイント!!

歴史の悪用と対抗策

まあそもそもなんで日本人がやや外国に強く出られないかについて語ると歴史の悪用が噛んでいるのは間違いありません。現在はややデリケートな話題なので言葉には出さないですが、近代の日本の戦争論は日本人としての罪の記録と言われているのは多かれ少なかれ聞いたことがあるのではないでしょうか?

その時のことを掘り返され、罪悪心を持ってしまうと、今の人達に「償いをしなければならない……」と考えてしまうのもわかります。

かといって他の国でそんな過去の出来事が原因で今の外交に支障きたしているなどそんなことがあるのでしょうか?はっきり言ってしまうと有名なものは全くと行っていいほどありません。

更に言うと、日本人がやたらと悪役扱いされているのは本当にただ「悪役」としての意味でしかないのでしょうか?もっというとそれは本当に真実なのでしょうか?今と比べて当時の登場人物は日本人らしいようで日本人らしくない……歴史にそんな違和感を感じたことがある方もいるのではないでしょうか?

本を読み解いていけば一つ一つわかるはずです。それこそ歴史についてあまり詳しくない人(私のように)でも、理屈や損得、そして感情においてどうなったのかを理解することにより、歴史の悪用例の仕方、そして相手に罪悪心を負わせて支配させる恐ろしさがわかると思います。

あまり出したくないわかりやすい例で言うならいじめでも「いじめられる方にも原因がある」という非常に腹だたしい言葉がありますが、あれは単に責任逃れの言葉というだけではなく、いじめられっ子に罪悪心を持たせることで支配させるという部分があります。

相手が悪用するとわかっていたのならば、そんな人の言葉には耳をかさないはずであり、あなたがこれからどうにもならないことで責められたとしても、正しい知識、そして正しい対処法を知っていれば身を守ることができるでしょう。

この本で語る歴史や、価値観にはその力があります。

日本と世界の歴史の捉え方の違い

そもそも論としてこの本でも書いてありますが、歴史を今の価値観で見るべきではありません。

アメリカや中国は自国の歴史を誇りに思っていますが、それは過去の人たちが「偉大な偉業を成し遂げた」「聖人染みて悪いことはしなかった」というわけではなく、単純にその時代時代で先祖の人たちが精一杯生きていたからだと思われます(偉業部分に関しては0とは言いませんが)悪いこともありましたし、恥ずべき歴史もたくさんあるでしょう。

それでも他国の方々の多くは歴史を誇りに思っています。少なくとも過去に敬意を払うという視点においては間違っていませんし、過去を必要以上に正当化しているわけではなく、「自分たちのために過去を誇る」という部分を知っておりそしてその誇りは明確に彼らの力となっているわけです。

この本でも、日本の歴史の捉え方、そして本来はただ恥じるべき歴史と捉えている歴史をもう一度見直し、「日本人は恥じるべき国民なのか」と問い続けますが、私はそうでもないと思えました。

もちろん、すべての歴史が日本人として、誇れるとは書いてませんし、罪は罪と認識はしていますが、過去の日本人も報われなかったとしても賢明に、そして、未来のために生きていたことが伝わるでしょう。

自虐の歴史

ネガティブを吹き飛ばすというついでにもう一つ、ネガティブを気にしない観点の利用法があります。

それは歴史の教育の影響によって日本人が自虐的になるのは明確ということです。努力すればどうにかなる部分ならまあわかりますが、日本人の過去を悪いように言って変えられない部分で延々と責められ続けたらどうあがいても自虐的な人間が生まれるのは当たり前でしょう。

世の中、妙にポジティブがもてはやされ、ネガティブが淘汰されている感じは少なからずありますが、この問題に関してはポジティブな意見ですら「罪を償おう!!」「過去を認めよう!!」という変なネガティブ成分が混ざっていると感じる部分もあり、余計ネガティブを促進している気がしてなりません。

とはいえ、そういった意見でも元気になれたり良い活動のきっかけになれればそれはそれで良いのですが、少なくとも歴史、特にこの本を読んできて思ったのは歴史について知れば知るほど「自虐的な人間が生まれるのは当たり前」ということであり、そしてそんな人間を責める権利は誰にもないということです(自虐さを理由に誰かに損害を与えているならそれは別の問題ですが)

もし自分が自虐的になってしまって苦しんでいるのならば、当書籍を読むことで少しでも自虐の気持が取り除かれるといいと思っています。できなかったとしても別に自虐的であることを恥じる必要はありません。

誰のせい……とは言いたくありませんが、少なくともあなたのせいではないのですから。

当ブログの初の批判

さて、ここまで書いてきました。

繰り返しましょう。「日本人であることを恥じる」というネガティブを吹き飛ばす ことに関しては当書籍は非常に優れています。刷り込められた悪意ある人の歴史の改竄、解釈、日本人のあまりにも自国文化を誇りに思えない空気感や印象操作、もし日本人であることだけが苦しいのであれば、その苦しみを取り除く大きな助けになるでしょう。

さて、問題は最後の章、「日本を取り戻すために」という章より2点ほどどうしてもあげないといけません。詳しくはぜひ書籍を読んでいただきたいのですが、ざっくり言えば、「昔の日本を様々な面で取り戻す」といった具合です。

方法論に関しては政治的思想が絡むので特に主張はいたしませんが、ひとつ目に言いたいこと。

まず、そもそも論として、「誇り」と「善」をむやみに結びつけるものではありません

「日本人であることは全ての人間は誇りに思うべきというのは構いませんが、「全ての日本人は善人だと思うべきは絶対に認めません。前にこの本でも述べましたが、すべての人間が善ではないからこそ、善は尊いのです。それは国民性であっても同じことです。

被災地で犯罪行為を行う人間が少ないのは確かに誇りに思うべきだと思う一方で、それはその人達自身が尊い精神を持っていたという個の精神を忘れてはいけません。著者としては個を重要視しすぎていると書いていますが、かといって全くなければいいというわけではないでしょう。

生まれつき、変な十字架を背負わされている、というのは間違いなく解消すべき問題ですが、生まれつき善性が備わっているという考えに対しては賛否両論あるでしょうが私は少なくともネガティブ面から見ても反対です。

2つ目に、著者の目指す先には誇りに絶対必要なものが著しく欠けています。

「自分たちは確実に進んでいる」という自負です。

認めましょう。どこか日本人であることに罪悪心があり、停滞していたり、悪い部分は何かと目に付き、政治や経済は腐敗ばっか、綺麗事だけで本気で問題に向き合わなかったりしますし、何より、歴史を学んで知った昔の良かった部分も多くは失われています。私はたかだが人生30年しか生きていませんが、歴史を学んだり昔の方の話を聞いたりしているとそんな感想を抱きました。

しかし、本当にそれだけですか?昔だったら絶対に助けられなかった人たちは今でも助けられませんか?不当に利益を貪っている人間はただただのさばるだけですか?決してそんなことはないはずです。何より、障害者である私はもう少し昔に生まれてきていたらただ絶望のまま死んでいったと思いますが、その原因は「自国を誇りに思えなかったから」なんて思えません。

不条理と必死で戦って、負けたとしても次に繋げて、そしてついに多くの人を助けられるようになった。私はたとえ、近代で、それこそ30年の中で多くは失われていたとしても、その事実だけは間違いなくあり、そしてその部分の多くは著者が否定した欧米や中国の協力(もちろん善良な人と仮定して)もあると思います。

その協力と学びに、多くの「失われた誇り」に仮に劣っていたとしても「新しい誇り」はあると思っています。

この方の言う通り、「過去の日本を取り戻す」べく動いてもそれは結局、誇りを持つことを阻害している劣等感の対象が「諸外国」から「過去の日本」に変わるだけで根本的な解決になりません。変わりゆく時代のなか、技術や文化などと同じように、その精神でさえも過去の栄光をただ目指したとしてもむなしいだけです。

失われたものよりも今あるものを認め、マイナスから始まってしまう誇りをひとまずは0に戻しつつ、そして新しく誇りを混ぜ合わせるべきです。

この本の最後にとある人物が言ってくれた言葉を思い出すと私はこういう結論に至りました。

なので、私はこう結論づけたいです。

過去の誇りを取り戻すためではなく、未来の誇りへ進むために、一度0に戻した上で、改めて今までの歩みを重ねつつ、未来の歩みを重ねていくこと。

最後に

最後に少し自分の主張を言ってしまいましたが、どちらかというと著者の方も自分の意見を全部信じてしまう人間よりも、こうして認められる部分と認められない部分を分けることを望んでいると信じたいところがありますので、初めてではありますが、明確に否定部分を上げさせて批評させていただきました。

いずれにせよ、歴史という変えられない部分でいつまでも苦しむのではなく、正しい歴史(あるいは正しいと思われる歴史)を知ったり、より素晴らしい文化に触れることで日本人であることをもっと誇りに思えるようになるのはあなたのためにも、そして日本のためにもなるでしょう。

前の記事でも言いましたが、人は決して自分が悪いとは認めたがりません。これは上の地位に立つ人だったらなおさらです。この本で読んだことを誰かに話したとしても、なかなか認められないかもしれませんし、より強い否定要素をぶつけられる可能性もあります。

それでも大丈夫です。あなたの内心だけでも心穏やかになれればよいのですから。少しずつ変えていくことを目指しましょう。

政治的な思想はこのブログでは取り上げませんが、歴史を誇りあるものに変えるという面においてネガティブをポジティブにする本というのは間違いありません。


コメント

タイトルとURLをコピーしました